5/21はなぜリンドバーグ翼の日?成功の理由は?

カテゴリ「 5月
2015.12.30
2018.03.14

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リンドバークという方を

ご存じでしょうか?

 

彼の有名な名言があります。

 

「全く危険が無いところで

生きてゆくことを望む男が

いるだろうか?

私は馬鹿げた偶然に

賭けるつもりは無いが、

何かに挑戦することなく

成し遂げられることが

あるとも思わない。」

 

こんな名言を言える彼は

何を成し遂げたのでしょうか?

 

今回はそんなリンドバーグの

記念日についてまとめました。

 

リンドバーグ翼の日の由来

 

5月21日は

「リンドバーグ翼の日」

です。

 

今から遡ること

1972年5月21日、

チャールズ・リンドバーク

(Charles Lindbergh)

がニューヨークからパリへの

単独飛行に成功しました。

 

彼が最初に発した言葉は、

自身がパリに着いたのか分からず

「誰か英語を話せる人

 はいませんか?」

と聞いたことが記録されています。

 

当時25歳の青年が

成し遂げた快挙を、

もう少し具体的に

紹介したいと思います。

リンドバークの挑戦とは?

 

彼がこの挑戦に挑んだ理由は冒険心、

というよりは野心に近いかもしれません。

 

この当時、ニューヨーク・パリ間を

無着陸での飛行に成功すると

「オルティーグ賞」(Orteig Prize)

が与えられ、賞金25,000ドルが

授与されることになっていました。

 

その名誉が目当てだったのか、

賞金が目当てだったのか

は分かりませんが、

彼は賞の必要条件では無かった

単独飛行を選択し、

厳しい飛行条件の中

無事にパリへと到着しています。

 

彼の挑戦は

1927年5月20日午前5時52分

ニューヨーク・ロングアイランドの

ルーズベルト飛行場を出発した

ことより始まりました。

 

翌21日の22時21分に

パリのル・ブルジェ空港に着陸、

大西洋単独無着陸飛行を

成し遂げました。

 

飛行距離は5800km

飛行時間は33時間

と、その挑戦は過酷なものでした。

 

スピリット・オブ・セントルイス
って何?

 

彼の相棒とも言える

「スピリット・オブ・セントルイス号」

これはリンドバークがつけた愛称で、

ライアン・エアラインズ製の

単発機「ライアンNYP-1」が機体名です。

 

リンドバーグ

 

「NYP-1」はこの機体のただひとつの

飛行区間「ニューヨーク・パリ」

のイニシャルを取って命名されています。

 

リンドバークの依頼により、

ライアン・エアラインズの技術者である

ドナルド・A・ホールによって設計、

1機のみ作製されています。

 

リンドバークが成功した理由

 

リンドバーグは厳しい条件下で

なぜ成功したのでしょうか?

 

1 :挑戦者たちが3発機を選ぶ中、

あえて単発機を選択

2 :チーム間の意見の不一致を

避けるための単独飛行

3 :無線機、パラシュートなどの

不要な機材を積まず、軽量化

4 :十分でない天候でも

挑戦する決断力

 

これらの条件により、

リンドバーグは成功した

と言われています。

 

成功の後、

「翼よ、あれがパリの灯だ」

と彼の有名な言葉とされています。

 

実はこれはリンドバーク本人が

言ったものではなく、

彼の自叙伝

「The Spirit of St. Louis」

の和訳題なのです。

 

日本語ではよく知られていますが、

海外でこれに相当する

言葉は存在しません。

 

勇敢な挑戦をとげた、

リンドバーグ。

 

5月21日は彼の勇気を

称えた日なのです。

 

彼のように、

挑戦を諦めない人生を

歩んでみたいですね。

 

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