令和で憲法「健康で文化的な最低限度の生活」はどうなる?
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小学校の頃に社会で
習った憲法の条文の一つで、
第25条「生存権」
があったのを覚えているでしょうか。
その条文は、
「すべて国民は、健康で文化的な
最低限度の生活を営む権利を有する。」
というものです。
小学校の頃の記憶がないという人でも、
柏木ハルコ原作の吉岡里帆主演ドラマ
「健康で文化的な最低限度の生活」
を視聴した人は
記憶に新しいところでしょう。
そこで、
「健康で文化的な最低限度の生活」について、
言葉の意味は分かっても
一体どういった生活か
よく分からないという方のために、
わかりやすく解説したいと思います。
憲法「健康で文化的な最低限度の生活」の背景は?
まず、憲法に盛り込まれた背景について
紹介したいと思います。
この条文はいわゆる「生存権」と言われ、
1919年ドイツのワイマール憲法が
初めて「人間に値する生存の保障」
として明文化したものです。
日本では第二次世界大戦後の貧困を背景に、
国が「健康で文化的な最低限度の生活」を
国民に保障するという趣旨から
「生存権」が憲法に
明記されることとなったものです。
したがって、
当時は現在の私たちがイメージする
「健康」や「文化的」とは異なり、
正に戦後の衣食住の確保もままならない中で、
せめて人間らしく生きていければ良いという
「最低限度」を指すものであったようです。
憲法「健康で文化的な最低限度の生活」の現在、今後は?
では、戦後の考え方が、
現在ではどのように
解釈されているのでしょうか。
戦後と生活のレベルは比較になりませんが、
当時と基本的に変わらない考え方は
現在も生活保護制度として
引き継がれています。
その一方で、
「生存権」は様々な広がりを見せており、
日照権のような環境権や嫌煙権など、
いつしか
より「健康」であること
より「文化的」であること
を望むようになってきました。
このような中で、
「生存権」を見直そうという動きも
見られるようになってきています。
そもそも戦後の
日本国憲法GHQ草案には
「生存権」は盛り込まれていませんでした。
より「健康」であることや、
より「文化的」であることを求める権利は、
むしろ憲法第13条の「幸福追求権」
によって保障されているもの
と考えるべきでしょう。
「最低限度」の生存を渇望していた戦後と異なり、
目覚ましい発展を遂げた現在においては、
「生存権」の見直しの議論が
起こるのもうなずけます。
どうでしたか?
今も様々な場面で
憲法改正に関する議論が起こっています。
しかし、私たちは義務教育において、
憲法をごく断片的にしか学んでいません。
その目的、背景などに興味をもっていただき、
憲法改正の要否等について
自分の考えが持てるようになれる人が増えると
より良い社会になっていくのかもしれませんね。