2/21なぜ漱石の日?由来は?なぜ1000円札に?

カテゴリ「 2月
2015.11.15
2018.03.14

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夏目漱石ほど有名になると、

その人の記念日があります。

 

皆さんは夏目漱石と言えば

何をイメージしますか?

 

パッと思い浮かぶのは1000円札、

坊ちゃんあたりだと思います。

 

今回は漱石の日にちなんで

夏目漱石についてまとめました。

 

漱石の日の由来

 

2月21日は「漱石の日」です。

 

では、なぜ2/21になったのでしょうか?

 

文部省が文学博士の称号を

夏目漱石に送ろうとしました。

 

しかし夏目漱石は

ここで驚きの行動にでます。

 

明治44年2月21日。

「肩書きはいらない」

と文部省専門学務局長の

福原鐐二郎氏に手紙出して、

辞退しました。

 

このことが由来になっています。

 

夏目漱石は変わった人だったんですね。

 

慶応3年に東京で生まれ、

東京帝国大学を卒業して

松山中学校で英語の教師になりました。

 

明治33年からイギリスに留学して帰国、

明治36年には東京大学で講師をしました。

 

この時代の人では中々できないことを

色々やっていました。

夏目漱石が1000円札になった理由

 

平成16年11月1日に野口英世に変わりました。

 

1000円札

 

若い人は夏目漱石のお札を

知らない人がいるんですね。

 

夏目漱石が1000円札になったのは、

昭和59年11月1日です。

 

国立印刷局のページに、お札の肖像が

決定するルールがあります。

①日本人が世界的に尊敬する人物

②一般に有名になっていること

③精密な人物像写真や絵画を利用できる人

 

文化人が良いということが

基本になったのが昭和55年で、

なんと国民の4割近くの人が

夏目漱石を望んでいました。

 

海外でもお札に文化人を使っていた

のが最終決定になり、ルールにのっとり

夏目漱石が1000円札になりました。

 

実は当時のお札、

福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石

の3人に決められるまでには、

実に5年という長い歳月がかかりました。

 

夏目漱石の作品

 

夏目漱石は

「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「草枕」

で有名になり、教師をやめ

朝日新聞社に入社します。

 

「虞美人草」「三四郎」

が人気になりますが、50歳のときに

「明暗」

の連載中に胃潰瘍で永眠されました。

 

今回は私が好きな「坊ちゃん」を

簡単に紹介したいと思います。

 

この話は現在の「半沢直樹」の様な

スカッとする話のパイオニア

と言っても良いでしょう。

 

◇「坊っちゃん」

小さい頃から家族とうまくいかなかった

坊ちゃんですが、お手伝いのキヨさんは

愛情たっぷりに接してくれました。

 

そして東京理科大学を卒養後、

四国の高校に数学教師として赴任します。

 

坊ちゃんは教師仲間にいろいろな

あだ名をつけて楽しんでいました。

 

画学の教師は「野だいこ」

英語の先生は「うらなりくん」

数学の先生は「山嵐」

教頭先生は「赤シャツ」

校長先生は「たぬき」

 

しかし、そんな本人も町で

天ぷらソバを4杯食べて、

天麩羅先生と言われる様になります。

 

さらに温泉で泳いだことから

生徒に意地悪をされ、

宿直ではお布団に生徒から

イナゴを入れらました。

 

この出来事で学生を

処罰しようしましたが、

先輩教師がうやむやにしました。

 

そんな中、山嵐(数学)だけは

理解してくれました。

 

ある日、うらなり(英語)が

婚約者マドンナを愛していたのに、

赤シャツ(教頭)の嫉妬から

左遷したことを知ります。

 

坊ちゃんと山嵐(数学)が怒り訴えますが、

赤シャツの陰謀によって

山嵐(数学)まで辞めることになります。

 

反撃にでた坊ちゃんと山嵐(数学)は、

赤シャツ(教頭)と野だいこ(画学)の

芸者遊びの場面を取り押さえ殴ります。

 

それから坊ちゃんは教師を辞めて、

心を理解してくれるキヨと暮らします。

 

という話です。

 

夏目漱石が亡くなって100年という節目で、

2016年1月3日フジテレビで嵐の

二宮和也さん主演でドラマ化が決定しました。

 

坊ちゃんの舞台となった

愛媛県松山市の道後温泉でも

ロケが行われました。

 

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