1/14はなぜタロとジロの日!?由来と実話秘話も!

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『タロとジロ』の話は、

1983年の日本映画『南極物語』

で広く知られるようになりました。

 

南極物語は南極観測隊員の苦悩と、

日本から同行した犬達の悲劇を描いています。

 

今回はそんなタロとジロの記念日や

秘話についてまとめました。
 

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タロとジロの日の由来

1月14日は

なぜ『タロとジロ』の日なのでしょうか?

 

1958年(昭和33年)、厚い氷に前進できなくなった

南極観測の第二次越冬隊が観測を断念しました。

 

第一次越冬隊は救助できましたが、

15頭の樺太犬は救助できませんでした。

 

南極に取り残されたままになったのです。

 

極寒 犬

 

翌年1959年の1月14日、南極昭和基地に

2頭の犬の生存が確認されました。

 

この日を記念して『タロとジロ』の日

になったのです。

 

また、「愛と希望と勇気の日」

と呼ばれる様になりました。

タロとジロのお話の秘密

南極昭和基地に残された15頭の樺太犬の内、

7頭は鎖につながれたまま死亡。

 

残りの8頭が鎖を抜け、その内の

2頭『タロとジロ』が生存していました。

 

鎖に繋がれた樺太犬は冬眠状態に

あったとみられ、解剖の結果2ヶ月は

生存していたようです。

 

樺太犬には帰巣本能が強く、

逃走した『タロとジロ』以外は

日本に向かって走りだしたため、

行方が分からなくなったと言われています。

 

『タロとジロ』は

なぜ日本に向かって走らなかったのか?

 

はっきりとした答えは分かりませんが、

『タロとジロ』の帰巣本能が昭和基地であった事。

 

『タロとジロ』は1歳で

他の樺太犬より若かった事。

が考えられます。

 

何を餌にして一年間生き延びたか?

 

これもはっきり分かりません。

 

鎖に繋がれた樺太犬の亡骸が食べられた

痕跡は無かった事や、周りには携帯用の餌や

アザラシの死骸はあったが、

食べた痕跡が無かったそうです。

 

理由は分かりませんが、

他の食材(餌)の場所を知ってい

た可能性が考えられます。

 

『タロとジロ』は発見された時、

「小熊のように丸々と太っていた」とあります。

 

有力な説は、「アザラシのウンコ」説です。

 

アザラシは驚くとウンコをするそうです。

 

樺太犬が吠えると驚いてウンコをして逃げる。

 

アザラシは、小エビや稚魚を食べていて、

未消化のウンコには栄養が豊富だったのです。

 

『タロとジロ』はアザラシの居場所を知り、

食事をしていたと考えられます。

 

また、ソ連の飛行機が給油の為に

無人昭和基地に来た際『タロとジロ』に

餌を与えた記録もあります。

 

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タロとジロはどんな犬?

南極に連れて行かれた『樺太犬』とは、

どんな犬種だったのでしょうか?

 

『樺太犬』は樺太、千島列島で

作られた犬種です。

 

アイヌニブフなどの北方の民族が

「犬ゾリ」や「猟犬」に使った犬種でした。

 

北海道でも、昭和40年代位まで

漁業、木材の運搬、電報配達、行商など

使役犬として働いていました。

 

しかし、車社会になり必要がなくなると、

雑種と混ざったりし野犬化していきました。

 

樺太犬は野犬掃討され、

1970年頃にはほぼ絶滅してしまいました。

 

タロとジロの特徴は?

現在の『樺太犬』は樺太から

購入し繁殖させたもので、特徴として

 

体格:ガッチリたくましい

(体長55~70cm・体重20~45kg)

耳:立ち耳

尾:巻き尾

カラー:黒、茶、グレー、白の単色と複合色。

 

性格は主人にのみ忠実で、

主人以外は懐きません。

 

方向感覚、帰巣本能に優れ賢い。

 

また、南極では氷の割れ目や薄い氷を察知して、

危険回避に役立ったとあります。

 

寒さには強く-40°も平気で雪上で

生活できますが10°以上を超えると、

体力が消耗して生活できません。

 

粗食にも耐え、夕方や夜に遠声をあげます。

 

もっと知りたい方は、北海道稚内市の

「青少年科学館」別館「南極越冬隊資料展示館」

があります。

 

そこには、大型のソリや『タロとジロ』の剥製や

写真が展示されています。

 

しかし、この特徴からもタロとジロの様な

犬が出てきたこともうなずけますね。

 

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